2008年06月27日

為末大、障害400mを制して北京オリンピックへの切符をもぎ取り、3大会連続出場

為末大、優勝で北京オリンピック代表を決める。

陸上競技の北京五輪代表選考会を兼ねた日本選手権第2日は27日、川崎市の等々力陸上競技場で行われた。

男子四百メートル障害は為末大(APF)が49秒17で制し、3大会連続となる五輪代表に内定した。2年ぶりの優勝を狙った成迫健児(ミズノ)は49秒47で2位だった。

男子二百メートルでは、高平慎士(富士通)が20秒74で優勝し、2大会連続の五輪代表に内定。国内第一人者の末続慎吾(ミズノ)は21秒16で3位に終わった。

▽高平慎士 (男子二百メートル優勝)3レーン(を走ったのは)はやりやすかった。末続さんに勝ったといってもこのタイムなので、北京に向けてもっと上げていきたい。

▽為末大 ここに来るまで苦しいことが多かったので、今までの日本選手権の中で一番うれしい優勝。不安要素を挙げたらきりがないので、とにかく自分を信じようと思った。支えになったのは自分の過去。すごく感動していますが、ここはまだ最終地点ではない。北京の結果で、みなさんの応援に報いたいと思っている。

(毎日新聞より)

為末大、今までの不調をぬぐい去り、北京オリンピックの代表を自らの手でもぎ取りました。これまで故障で2ヶ月以上も練習ができなかった為末大。

これで北京は出られないか?という土壇場で北京への切符を奪取して3大会連続のオリンピック出場をもぎ取った形です。

これから調子を上げてオリンピックでもメダルを取ってもらいたいですよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080627-00000093-mai-spo
日本人の足を速くする
posted by スターウオッチャー at 20:29 | TrackBack(0) | 日本のスポーツ選手

2008年06月23日

オグシオ、膝上20センチのミニ型北京オリンピクユニフォームに「恥ずかしくて...」

オグシオのバドミントン北京オリンピック、膝上20センチの新ユニフォームはちょっとセクシーかもね。

戸惑うシオをオグが救う!バドミントン女子ダブルスの小椋久美子(24)潮田玲子(24=ともに三洋電機)組ら北京五輪代表が22日、都内で会見した。本番用ユニホームも発表され、女子のワンピース型ユニホームは、ヒザ上20センチという超ミニ仕様。セクシー勝負服に潮田は戸惑いを見せたが、私服でミニスカートを着こなす小椋は気合十分だ。

オグシオが会見場に登場した瞬間、集結した約130人の報道陣の胸が一斉にときめいた。これまで女子のユニホームはウエアとスコートが分かれたセパレート型だったが、お披露目された北京用勝負服は五輪初の上下一体ワンピース型で、2人にとっても初体験。以前より2センチも丈が短いヒザ上20センチという超ミニ仕様で、健康的な足がむき出しになった潮田は「恥ずかしい。高校の制服でも私服でも、こんなに短いのは着たことがない」と赤面した。

慣れないユニホームに戸惑うパートナーとは対照的に、自信を見せたのは小椋だ。「体形がいい方じゃないので抵抗があった」と言うものの「太い足を出すなって感じですけど、私服でもミニスカートをはくときがあるので」とにこり。普段からミニを着こなすだけに、動きやすさをギリギリまで追求したセクシー戦闘服にもやる気十分だ。

小椋は4月に腰を痛めて戦線離脱し、オグシオは一時解体。19日のインドネシアOPで約2カ月ぶりに再結成を果たしたが、初戦で敗れた。「試合勘がなくて私の反応が遅れたり、うまくコンビネーションが取れなかった」と小椋。パートナーに迷惑をかけた分、今度は自分が引っ張るという思いもある。「悔いを残さないように、1つでも多く勝ってメダルを獲りたい」。目指す表彰台へ、恥じらうパートナーを助けるセクシーショットを叩き込む。

(スポーツニッポンより)

なんだかオグシオのバトミントンコンビの2人、新しい北京オリンピック用の新しいユニフォーム、初のワンピース型で、潮田選手は「恥ずかしい」とのことですが、いやいやご謙遜をお似合いですね。

100%、プレーに集中8していればそんなこと忘れてしまうし、しばらく着ていれば慣れちゃうって。
,バドミントン世界選手権2007
posted by スターウオッチャー at 07:11 | TrackBack(0) | 日本のスポーツ選手

2008年06月22日

グレート草津氏、死去。国際プロレス懐かしのプロレスラーだったな

国際プロレスなどで活躍した往年の名レスラーで、がんと闘病中だったグレート草津さん(本名草津正武=くさつ・まさたけ)が21日午後1時5分、入院先の静岡県内の病院で死去した。66歳だった。草津さんは昨年5月に食道がんで入院。肺や肝臓などに転移し療養していた。通夜は23日午後7時から、葬儀・告別式は24日午前11時から、ともに静岡県駿東郡長泉町下土狩71の11、セレモニーホールみしま平安会館で。喪主は妻智子(ともこ)さん。
 
草津さんはラグビー日本代表に選出された身体能力を生かして65年にプロレスラーに転向。国際プロレスには68年1月の旗揚げから参加した。「鉄人」ルー・テーズと死闘を繰り広げ、81年に同団体が消滅するまでラッシャー木村らと主力選手として支えた。
 
05年秋に脳出血で倒れ、昨年に食道に腫瘍(しゅよう)が発見された。苦しい闘病生活を続けたが、かつての付き人で2週間前に見舞いに訪れたアニマル浜口(60)には「オレは大丈夫」と気丈に語ったという。元K−1ファイターで「グレート草津」のリングネームを継承した次男の賢治さん(31)は「武士のような人で、最後まで自分の生き方を貫いた。おやじの姿を見ながら育ってよかった」と話した。

(日刊スポーツより)

グレート草津ですか。懐かしい名前ですね。

いまいちマイナーだったラッシャー木村率いる国際プロレスでメインレスラーも務めたグレート草津。今となっては非常に懐かしく思い出に残るプロレスラーです。

最近はめっきりみなかったですが、グレート草津ももう66歳でガン闘病中だったんですね。ご冥福をお祈りします。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080622-00000024-nks-fight
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posted by スターウオッチャー at 15:03 | 日本のスポーツ選手